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  • 豊島事件の経緯

    日本で最大級の産業廃棄物不法投棄事件が、瀬戸内海の豊かな自然に恵まれた豊島で起こりました。先人から受け継いだ豊かで美しいふるさとを守るために、住民たちは立ち上がり、香川県知事の謝罪と原状回復の合意が成立したのは2000年6月でした。

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  • 住民たちの闘い

    「草の根の民主主義」ともいわれる豊島住民の闘い。65歳以上の高齢者が3人に1人の豊島でした。直行便フェリーのない香川県都・高松への150日間の抗議、県内全市町へのメッセージウォーク、東京銀座への産廃を提げたデモ、小豆島全戸訪問、香川県内100ヶ所座談会などを実施。自らの生活を犠牲にしながらの闘い。島全体では1億円を超す負担に耐えながら、公害調停での「知事の謝罪と原状回復」を勝ち取りました。

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  • 公害調停1993〜2000年

    住民たちは、豊島事件を解決するために、公害調停の手続きを取りました。公害調停の手続きを利用すると、不法投棄されている廃棄物の総量や有害性を国に調査してもらうことができます。公害調停の先頭に立ったのが、中坊公平弁護士を団長とする弁護団でした。

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  • 豊島宣言2000年

    長く苦しかった公害調停は、香川県が明確に責任を認め、住民たちに謝罪することによって合意にいたりました。調停に際して、住民たちと弁護士は次の世代に向けて希望の言葉を残しています。

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  • 処理事業の体制

    不法投棄現場は豊島の北西隅にあります。面積は28.5ヘクタールで周りは海です。調停により、香川県が豊島の原状回復を約束し、廃棄物の処理を実施することになりました。廃棄物は直島の中間処理施設で無害化処理、その副成物は再生利用されます。2016年度末までに廃棄物と汚染土壌の処理を完了し、現場の地下水は元の状態(環境基準以下)になるまで浄化することになっていますが、まだまだ長い時間が必要です。

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  • 困難を極める処理

    廃棄物と汚染土壌の総量は60万トン、処理期間10年と見込まれていましたが、その後次々に総量が見直されました。66万8千トン、90万5千トン、そして2012年には93万8千トンにも上るというものです。これにより、処理期間も3年半ずれこんで、撤去完了予定は2016年10月とされています。2012年度末の処理量は、全体の6割のおよそ56万トン、未だ4割の38万トンを処理する必要があります。

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